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でもありましたし、また法的な義務としてもともとの開発をもう一度復帰させる義務がありましたので、そちらに戻りました。
(S28)これは既存のマーケット開発のもとで行われていたものなんですけども、99年のリースを得た後で、そのディベロッパーがそれを続けることができないということになりまして、このプロジェクトはほぼ完了する段階に入っております。もう既にここには8年間ぐらいの建設作業が進んできたということであります。
(S29)経済が安定すれば、ダーリングハーバーでまずその回復が見られるであろうと自信を持っておりました。リセッションの最中、強力なディベロッパーがダーリングハーバーにも参画しておりましたので、彼らがまた戻ってきました。これは野村と東洋不動産との共同のプロジェクトの例であります。
(S30)これもダーリングパークとして知られる開発です。非常に質の高いものです。
(S31)また、ホテルの開発も進みました。ノボテルホテル、日航ホテル、アイビスホテル、そして最初の住宅開発も行われました。500戸です。
(S32)市を非常によく眺望できるものです。
(S33)これもまた住宅に転換されたものです。
(S34)こういったプロジェクトが進んでいく中で、しかしながら、シドニーサイドから見まして、市民が新たなアトラクションとして何も見つけ出せないような状況も出てきました。すなわち、人が集まらないということで、公共エンターテインメントやイベントのためにお金をどんどん使わなければいけなくなりました。そして、例えば歩行者のアクセスを確保するというようなことも重要になりまして、そこで、この地域はまずアクセスが難しいということが問題とされた地域になってしまいました。したがって、そのイメージを克服しなければいけないという課題がありました。1995年に、しかしながらニューサウスウェールズ州の政府が変わりまして、その年に幾つもの商業的な民間交渉を成立させることができまして、いろいろな新しいプロジェクトが市場に出てきたということです。マーケットスリーというこのプロジェクトは先ほどお見せしたものでありますけども、完成までに8年もかかりました。500戸の住宅とこれが完了しております。そして、3階建ての小売りが来年の2月にオープンします。これは、コープグループがファイナンスしております。ジャンクリラホテルを所有しているグループです。
(S35)これもマーケットシティーの別アングルからのイメージです。
(S36)マーケットシティーとモノレール。
(S37)民間の開発に伴いまして、ダーリングハーバー・オーソリティー自身も新たにコミットメントをいたしまして、公共エリアの整備を図っていきました。したがって、ダーリングハーバーは1998年、すなわち2000年のオリンピックよりはるか前に完了するというのがターゲットであります。子供の遊び場のところにシェードを施しました。ダーリングハーバーが最初にデザインされたときには、この木陰といいますか、シェード

 

 

 

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